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帆を張るやうに胸を張れ

同性愛者のサラリーマンのblog

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不倫の罪。

国会議員や芸能人が、立て続けに不倫で世間を賑はせてゐるけれど、全く呆れるばかりだ。
“姦通罪”等と言ふつもりはないけれど、子供を持つ親の不倫は、児童虐待ではないかと思ふ。
自分の親への信頼だけではなく、愛情や性的な物への見方をも、歪めてしまふのではないだらうか。

だいたい不倫なぞ、そんなもんは手近なレジャーだしな。
「夫婦と違つて、不倫は生活が伴はないから純粋な恋だ。」等と、屁理屈にもならない事を言ふ奴もゐたけれど、純粋ならば待てるだらう。純粋な恋ならば。

性欲だから待てないんじやないのか。

堂々と、ホテルや自宅で会つたり、公共の乗り物の中や、街中でベタベタしてるのは、どこかで自分達は許されるのではないか、言ひ訳すれば通るのではないかと、思つてるからだよな。

百歩譲つて、大人同士はまだいいけれど、不用意にそれ等を見せられる、子供達はどうする。
もう、ご近所の目が、と云ふ時代ではない。インターネットで瞬く間に世界中の目に晒され、しかも、半永久的に残る。
五百歩譲つて、子供がまだ生まれたての赤ん坊だとする。それでも、大きくなつてから、他人の口から耳に入つたり、有名人なら親の名前を検索したら出てくるだろ。

俺がかう云ふ事を言ふと、大抵、子供は親を選べないんだから、と宣ふ輩がゐるんだけど、選べないから我慢させるのかよ。
選べないからこそ、守つてやらなけれあならないんだろ。

因みに俺は、翼以外の「可愛いなあ。」と思ふ子は、ほぼ「ヤりたいなあ。」とセットなので、全く純粋ぢやあありません。








  1. 日常
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平成29年、長崎原爆忌に寄せて。

夏来ぬと水辺へ走る子供らの瞳にはただ夢を写して

夏が来る度に、真つ青な夏空を見上げては、原爆が落とされた日を思ふ。
この晴れ渡る蒼穹から、あの忌まはしい爆弾が落とされ、地上に地獄が出現した。
水を求めながら死んでいつた人々へ届ける為、今年も長崎では“平和の泉”から水を汲む。
そして、鎮魂と恒久の平和を祈る。

「歴史は繰り返す。」と言ふけれど、人間は何故、愚かな行ひ、過ちを繰り返すのか。
学ばないのか。それとも、過ちと思つてゐないのか。
暴力を手段に選ぶ者を、止める術は無いのだらうか。
戦争もテロも、様々なハラスメントも虐待もいじめも暴力だ。誰も幸せにはなれない。その瞬間だけ、欲望を叶へたと思つても、その後は。

他人の心身を傷付けず、何も奪はずに幸せになれる方法を、考へる頭を、人間は持つてゐる筈だ。



  1. 日常
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平成29年、広島原爆忌に寄せて。

逝かしめし人を思へる一夕に終末のごと空焼け落ちて

今年は大丈夫だつたのか。
我が国の歴史を大きく揺るがした出来事を記念する日に、使ひ回しの原稿を読み上げた残念な安倍晋三。

誰のせいだとか、誰が悪いとか、そんな話ではなくて、原子爆弾の恐ろしさ、放射性物質の恐ろしさを、もつともつと、我々は知らなければならないと思ふ。
原子爆弾よりも、もつと身近な、放射性物質を扱ふ施設での被曝事故が起こる度に、認識が甘いのではないのかと思はざるを得ない。
被曝事故が起こると、政府や関連企業は、狂つたやうに「問題無い!」と叫ぶけれど、問題が無かつた事が嘗て有つただらうか。

今まで原発で養はれて来た筈の“地元”が、何故、原発の再稼働を反対するのか、それに思ひ至らない政府は、一度で良いから、私利私欲を捨てて、国民の事を考へて欲しい。
自分達を庇護してゐるのだと主張する“核兵器”と、北朝鮮が開発に血道を上げてゐる“核兵器”とが、同じ物だと云ふ事に早く気がついて欲しい。
人類の存亡に関はる事だ。

自分等がどれだけ特別だと思つてんのか知らねえけど、放射性は避けちやくんねえだろ。

小説でもなければ映画でもない。現実の話だ。




  1. 日常
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あれから、一年。

やまゆり園の事件から、一年が経つた。
ニュースを見てゐて、改めて犯人の年齢を思ふ。
まだ、27歳なんだよな。事件当時は26歳。

俺が26歳の頃は、と、つい、思つてしまふけれど、同じ性別、同じ年齢であつても、それまでの成育環境が違へば、単純に比較する事は出来ない。

犯人はずつと、否定され続けて来たのではないだらうか。

「障碍者なんか、ゐなくなれば良い。」

そんな事を言つて、諸手を挙げて賛同してくれる人なんかゐる訳が無い。
でも、それは表向きの話だ。それが社会の常識だから。

人は皆、各々に感じる心が有る。
障碍者なんかゐなけれあ良い。第一、障碍者本人だつて大変だらうし、世話をする者だつて、さう思つてるに決まつてる。
かう感じる事を、全くの間違ひだと言へるだらうか。
各々、感じ方が違ふから、社会を営んでゆく為に、“常識”つつふ物が有るんだろ。

間違つてゐるのは、“障碍者”と“障碍”を一緒くたにしてゐる事だ。
俺も“障碍”なんかなけれあ良いと思つてゐる。でも、“障碍者”がゐなけれあ良いとは思はない。
様々な“障碍”を、人が生きてゆく上での“障碍”として一括りにはできても、“障碍者”は一括りにはできない。
だつて、一人一人違ふ人間を、一括りにする事はできないだろ。間違つてるよ。

人と人とは対等な存在だ。それなのに、障碍者だからと云ふ理由を付けて、その命を奪ふなんて、傲慢過ぎる。しかも、相手は自力で逃げる事も叶はず、武器も持たず、無抵抗だ。
どんなに恐ろしかつただらう。
想像を絶する恐怖や痛みを感じながら傷付けられ、殺されていつた被害者の気持ちを思ふと、言葉には表せない気持ちになる。やりきれない。
犯人の罪は、傷害や殺人だけではない。あの日から、沢山の人の人生が変はつてしまつた。直接、関はつた人達だけでなく、事件を知つた人達も様々な影響を受けた。


“やまゆり園”は、俺の実家の在る県、市に在ります。
数年前に、県内の養護学校の高等部を卒業し、やまゆり園を何度かショートステイで利用していた知人の息子さんは、あの日、たまたま、そこにはゐなかつた。
けれど、心にとても深い傷を負ひました。
人として、職員の方々や、他の利用者さん達と交流があつたから。
彼は職員の方や、親切にしてくれた人の名前をあげては、「死んぢやつたんだねえ。」と言つて泣くのださうです。
人の心で泣くのです。

今は、人ではなくなつてしまつた犯人も、かつては人だつた時が有る筈なんだ。
人として産まれて来て、どこから人でなくなつてしまつたのだらう。

犯人が人だつた頃、彼と人として向き合つてゐた人達は、彼の為に泣いてゐるのだらうか。

泣いてくれる人はゐるのだらうか。










  1. 障碍の事
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A沢殿下。

うちの社員ではないのだけれど、伊藤さん(仮名)と云ふ方と、知り合ひになりました。
この方の肩書きは“参与”です。

デスクのメモに、

いとうさん

とうさん

とうさんよ

と書いて、珈琲を買ひに席を離れました。
帰つて来たら、

ちやんとおしごとをしないと、かえれませんよ。

と、A沢の字で書かれてゐました。
何故、平仮名なのか。俺は漢字だつて読めるぞ。

“参与”と云ふのは、所謂、ご意見番、アドバイザーと云ふところでせうか。
同じ“参”が付くのなら、“参謀”の方が格好良いなあと思ひます。
クシャナ殿下の参謀になりたい。

  1. 職場
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